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文章ってのは文字の羅列じゃねえだろ、と漏れは思う。
漏れはホント駆け出しで挫折した程度の経験しかない。だけど実際に物を書いて金もらってた時期があったわけで、そういう人じゃないとわからない感覚かもしれないし、こんなことを言うのはWEBの世界では古いのかもしれないが。。。
例え自分の文章に手を加えるのが編集者であっても、物書きの人は嫌だと思うんだよね。文字数制限や、レイアウトに対してどこで改行するかとか、考えてる人だっていたし、なにより自分の思い入れや感情を伝えるために「表現の方法」を工夫してたりするんだよ。文章に手を加えられるってのは、自分の感情や、工夫した努力に手を加えられることなんだよ。多分、多くの編集者が一度は経験していると思うけど、文章を削る時には断りを入れているはずだ(駆け出しだと事後承諾がほとんどだがw、ビッグネームだと平身低頭して一言お断りの電話を入れたりする)
もちろん、いつもいつもいい文章が書けるわけじゃないし、最近の漏れのブログなんてひどいものだけど、読み手が書き手に敬意を払うように、書き手は読み手を意識してる。漏れは別にたくさんの人に漏れのブログを読んで欲しいとか、共感して欲しいとか思ってないけれど、読んでくれる人にはちゃんと伝わるように書きたいとは思ってる。そういう気持にも、修正を加えるってことだ。


文章ってのは、相手に伝えることではなく「感情を読めるように加工した物質」を作る行為だと思う。その加工物をどう処理するのかは相手次第だが、「出来るだけ純度を保って加工しよう」と書き手は必死になるのだ。それでも、「相手が好き勝手に加工してしまう」っていうアンビバレンツがそこにはある。



『自分の文章を直されて何も感じないのは、何も思い入れがないからだ』